Vilonya (ヴィロニャ)の教会は西暦1100年の後期から1200年の初期に建てられた。
祭壇の屋根は四角く石で囲い、天井はアーチ形状であった。 北側の壁にはロマネスク
様式の細長いブライド窓があった。
礼拝堂は平らな天井にされて、そこにはフレスコ画があったが、現在はブダペストの
民族博物館に保存されている。
建立当時は塔はなく、現在の塔は1796年に建てられた。 南側の壁には中世ゴシック
様式の説教台があるが当時の物ではない。
1529年、ここに留まっていたトルコ軍によって、内部はことごとく破壊され、残された
多くの遺物は1796年に教会を改修する資金捻出のため、国立博物館に供出された。
Sóly (ショウリィ)の教会はプロテスタント教会である。
今日の教会は13世紀にロマネスク様式で建てられ、18世紀にバロック様式
に建て替られた。その時、塔もゴシック様式になったが、元々はイステバン王
の王子時代に戦勝記念として997年に建てられた古いものがあった。
内部は半円形の祭壇部と単室の礼拝堂から成っており、その間にかわいい
説教壇がある。 1775年に上に高く持ち上げれた。
初期の教会は天井が木造でそこに絵が描かれていたが、1724年に現物は
ブダペストにある工業美術館に寄贈され、展示されている。
<その頃、日本では....>
1529年日本では、応仁の乱の疲弊から室町幕府は衰退し、1550年代から始まる
戦国時代までの束の間の大衆文化陶酔期(銀閣寺の建立、茶の湯、禅等のわび、さび)
であったと同時に、信長、秀吉、家康といった戦国武将が揃って産声を上げた時期でもあった。。