Nagyvázsony (ナージヴァジョニィ)セントイシュトバン教会は11世紀に
アルパート時代のアコシ族の族長であったヴァジョニィ家によって建立された。
村の名前は初代領主の名前が起源である。
1472年にはキニズイ・パールが国王マーチャーシュより、後継者のいなくなった
この領地を任された。
キニズイ・パールは1480~1481年に、既存した教会の基礎の上にゴシック
様式でローマンカトリック教会を建てた。 国王マーチャーシュは度々、ローマ
に出掛けていたので、ヴェレンツェにある教会が原型と云われている。
1483年には聖パウロ修道院も設立した。
キニズイ・パールはその後、20年間この地を繁栄に導いた。
彼の残した3大偉業は、この教会(現役)と聖パウロ修道院の創立と強固な
石城の再建であった。
<教会>
当時の教会はトルコ軍に破壊され
たが幸い、当時の塔や入口は今
でも残っている。
内部の丸天井や祭壇、説教台は
1773年にバロック様式で再建され、
オリジナルな状態で残っている。
<聖パウロ修道院> キニズイ・パールと父のマジャールバラツが
1483年に建立したが、1552年に
オスマントルコ軍に破壊され廃墟となる。
<城> 1469年に作られた。 高さ29mの四角い居住塔、北側から中庭
を囲っている石壁と東側から導かれている門塔はオリジナルのまま
である。
モハーチでオスマントルコに敗れた(1526年)あと、次の重要拠点
ヴェスプレーム(司教区本部)を守る上で、この城は両者にとって、
非常に重要な城となった。
しかし1593年にヴェスプレームが堕ちた様を29mの高さの塔から
見えた筈である。